私達の年代の人間から「笹川良一」という人のイメージを聞くと、子供のころに放映されていた日本船舶振興会のCMの中で「火の用心」やら「人類みな兄弟」やら「アフリカの飢餓救済」を唱えていたおじいちゃんというイメージが真っ先に浮かんできます。その親の世代にとっては、「右翼の大ボス」「競艇の胴元」「A級戦犯」などよい印象をもっていない方がほとんどでしょう。私も親からは「日本船舶振興会のCMは売名行為、私物化」などと教えられて、よい印象をもっていませんでした。
ところが何年か前にふとWikipediaで「笹川良一」の項に行き当たり、内容を読むと黒い噂など微塵もなく、私財のほとんどを慈善活動に充てたと書かれていた。それから一転、笹川良一という人の生き方に深く感嘆しました。
(Wikipediaの「笹川良一」の項)
「悪名の棺 笹川良一伝」の著者 工藤美代子さんも最近まで笹川良一氏のことはよく知らなかったそうです。「善人と聞くとそれを疑い、悪人と聞くとまた疑いたくなる」性格のため調べてみたとのことである。
笹川良一氏が生まれて、1995年に96歳で亡くなるまでの生涯がわかるだけでなく明治・大正・昭和へと変ってゆく時代の流れと世間の心境などが、まるで歴史書を読んでいるかのようにうまく頭の中でイメージされてゆきます。
特にたくさんのページを割いて書かれているのは、第二次世界大戦につきすすむ世の中の動きでした。先物取引で巨万の富を得ていた笹川氏は右翼団体・国粋大衆党を結成し活動を開始します。当時(大正~昭和初期)の右翼団体といっても現在のような軍国的なものではなく、社会運動的なものでした。事実、戦争慎重派であった連合艦隊司令長官 山本五十六と交友があったことや、東条英機首相に同調する候補者には莫大な資金で推薦された衆議院選挙(翼賛選挙)に敢えて無推薦で立候補し東条英機と対立した。このことからも身を呈して戦争を避けようと動いていたことがうかがえます。
我々にとって一番興味のあるモーターボート競争会を結成するお話しは、さほど大きくページを裂かれていなかったのは少し残念でした。日本船舶振興会の会長になり、さまざまな慈善事業を行ったことは有名ですが、船舶振興会の支援が届かない分野には私財を惜しみなく投じていたそうです。しかも船舶振興会の会長職では一切報酬を受け取らず、残した財産は借金ばかりだったということは初めて知りました。
この本を読んで「右翼の大ボス」「競艇の胴元」「売名行為」という印象を持つ人はまずいないでしょう。もちろん書き手の一方的な意図によることかもしれませんが、この本の命である多数の証言は証言者の名前や出所が記されているので数多くの批判よりは信憑性は高いと思います。生前に多くの批判を受けているのを知りながらも「有名税」といって済ませ、亡くなってから氏に寄せられた大量のお礼状が見つかるなど、人間の大きさがそのことからも伺えます。
批判をしていた人間に聞きたい!「売名行為でもいいから自分のお金を1円でも寄付をしたことあるのか?」と・・・天賦の才で富を手にし社会に還元した人の人生を、もっとたくさんの人々に知られると世の中は良くなるのではないかと思わずにはいられません。
amazonで悪名の棺 笹川良一伝を調べる
0 件のコメント:
コメントを投稿