秋の飛鳥路(奈良県高市郡明日香村)を歩いてきました。飛鳥路は古墳や史跡が直径1kmの中に集中していて、楽しみながら歩くことができます。
小高い丘の上に天武・持統天皇陵がありました。
天武天皇は673~686年に在位し、これまでの「大王(おおきみ)」という呼び名を現在の「天皇」に改めたと伝えられています。日本書紀には「才能に恵まれ、武徳に優れ天文・占星の術を得意とした」と記されているそうです。
持統天皇は、天武天皇の奥さんで690~697年に在位した数少ない女性天皇です。次期天皇として推す声が強かった大津皇子の謀反を察知し自刃に追い込んだ。しかし、これは我が子である草壁皇子を立てるための謀略ともいわれている。(地図)
民家の横に置かれた大きな石を発見!
飛鳥のシンボルである「亀石」です。何のために作られたものかは諸説あり、詳しくはわかっていません。
昔、奈良盆地が湖だったころ、対岸の当麻のヘビと川原のナマズの争いの結果、当麻に水を吸い取られ川原あたりは干上がり、湖の亀はみんな死んでしまった。亀を哀れに思った人たちが「亀石」を彫って供養したそうです。いま亀石は東を向いていますが、西に向き当麻をにらみつけると、奈良盆地は泥の海と化するという言い伝えがあります。(地図)
明日香村全域は歴史の町。景観を守るために、公共の施設も瓦葺きになっています。
南都銀行 明日香支店もご覧のように風情のある造りをしています。(地図)
石舞台古墳です。蘇我馬子の墓だという説がありますが、まだ詳しくは分かっていません。
元々は盛り土に覆われていたそうですが、剥がれて石室の上部部分が露出して現在のようになったそうです。
蘇我氏への恨みから、盛り土が意図的に剥がされたという説もあるそうです。(地図)
石舞台古墳の石室の内部です。写真では分かりづらいですが内部は結構広く、身長の2倍くらいの高さがあります。真上に見える大きな石が、上の写真の左側の上に載っている一番大きな石です。
石室の入り口付近です。しかし、重機のない時代にこれだけ大きな石をどのようにして運んできたのでしょうか?
その方法はパネルで解説されていました。
大きな平らな石が森の中にあります。「鬼の俎(まないた)」です。
霧の多かったこの辺りに鬼がすんでいて、通行人を騙してとらえ食べたといわれている。「俎」で調理し、この下にある「雪隠(せっちん)」で用を足したという伝説があります。(地図)
鬼の俎から遊歩道を挟んで向かい側にある「鬼の雪隠(せっちん)」です。雪隠とはトイレのことです。昔の人は想像力が豊かですね。
もともと雪隠と俎は同じ場所にあり、俎の上に雪隠がかぶさり古墳の石室になっていたそうです。それが何かの拍子に、雪隠が丘から転げ落ちたということです。しかし、こんな大きなものが転げるには鬼の力を借りないといけませんよね。(地図)
朝晩が寒くなりましたので、長距離を歩いても全く平気になりました。この季節こそ、あちこちに転がっている身近な歴史の旅に出ようではありませんか!
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